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すしの始まり

すしの始まりは「熟れずし」です。その熟れずしは、海水に浸った魚が自然醗酵し、酢漬けのようになることを発見したことから始まったと思われます。次第に魚に飯を加えて漬け込むようになりました。これが、現在でも食べられている「鮒ずし」(滋賀県の郷土料理)に代表される「熟れずし」です。
文献にみる江戸で最も古いすし屋は、日本橋にありました。330年前ほど前に書かれた、江戸時代のガイドブックである『江戸鹿子』の巻六(1687年)に、「舟町横町の近江屋、駿河屋」という記述があります。近江屋、駿河屋が江戸では初出のすし屋ということになります、舟町横町とは日本橋魚市場のことです。


にぎりずしの出現

現在、最もよく知られているのはにぎりずしですが、登場したのは、巷説では1824年前後とされています。確証はないのですが、1827年には、にぎりずしを題材にした川柳※が作られています。

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にぎりずし

※俳句と同じく「5・7・5」の17音で作られた定型詩。世相風俗を風刺した内容が多い。

にぎりずしの創案者は、通説では與兵衛鮓の初代花屋與兵衛(1799~1857年)とされていますが、同時期ににぎりずしを商っていた人は数人いたようで、與兵衛は大成者といったほうがいいかもしれません。ちなみに、江戸の三大すし屋としてあげられるのが、両国の與兵衛鮓、安宅の松のすし、笹巻きずしです。
やがて江戸のすしは、にぎりずし一色となります。江戸の末期からはその場で握って食べさせる屋台店が大流行。今とは逆で、客が立って、握るほうが座るスタイルです。このすし屋の形態は、1939年、道路交通法と公衆衛生法により、屋台が取り締められるまで、長きに渡り続きました。


 マグロずしは日本橋が元祖

今、最もポピュラーなにぎりずしのネタといえばマグロ。ところが、天保年間(1830~1844年)以前は、にぎりずしにマグロを使うことはまったくありませんでした。天保七、八年頃に、江戸の近海でマグロが大漁にあがり、処分に困りすし屋にもすすめたのでが、どこも断りました。が、その中唯一、日本橋馬喰町の「恵比寿鮨」が試みたところ、意外にもすしのネタとして合っていたことがわり、以後、マグロずしが広まってゆきます。
冷蔵設備のなかった当時は、マグロを湯引きにした後、それを醤油に漬けて使いました。これが今でいうところの「マグロのづけ」です。

マグロは資源の枯渇が危ぶまれています。にぎりずしのネタはマグロだけではありません。実にたくさんの魚が、にぎりずしのネタになり、おいしく食べられていますので、ご安心ください。

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