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キリスト教とともにもたらされたてんぷら

てんぷらは、安土桃山時代(1573~1603年)に、キリスト教の宣教師とともに、日本へやってきました。
もともとは、長崎から広まった魚介類の揚げ物のことで、当時は衣をつけずに揚げたり、すり身にして揚げていました。いつから衣をつけるようになったのかははっきりしていません。今でも上方(関西)では、衣をつけないさつま揚げ(魚肉のすり身を成型し、油で揚げたもの)をてんぷらと呼ぶこともあります。


てんぷら店第1号は日本橋

衣をつけて揚げる「つけ揚げ」は、16世紀に西洋から伝えられ、17世紀に京都で流行し、18世紀に江戸で屋台店として広まりました。明治初頭でも、つけ揚げは屋台店がほとんどでした。

てんぷらの盛り合わせ

店で揚げて供するスタイルが始まったのも、日本橋が最初です。『嬉遊笑覧』(1830年)という随筆本に、日本橋の屋台で出していたてんぷらの質の高さと、それが店でにあげて食べさせるスタイルとなり、広がっていった様子が残されています。
「日本橋の際の屋台店、吉兵衛という人がよい魚類を油で揚げて売り出した。好事の者は、彼が住む木原店の家に行って食した。これが評判になり、てんぷらの様相が一変した」とあります。

ここに出てくる木原店(きわらだな)とは、現在のコレド日本橋の脇の道にあり、別名「食傷新道(しょくしょうじんみち)」と呼ばれるほど、評判の飲食店が並んでいたところです。