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江戸で初めてそばを食べたのは、日本橋のお坊さん

そばも、日本橋にゆかりの深い食べ物です。江戸で初めてそばを食べたのは日本橋の人で、今から400年前のことでした。
そばは江戸の文献に初めて登場するのは、『慈性日記』(1614年)という本で、京都にある尊勝院の慈性(じしょう)という坊さんが書いた日記です。その2月3日のところに「江戸日本橋・東光院の詮長(せんちょう)と、近江阪本・薬樹院の久運(くうん)の三人で町の風呂屋へ行ったが人がいっぱいだったので入れず、江戸常明寺(じょうみょうじ)でそば切りを食べた」とあるのです。
東光院は、日本橋の新縄町(現在の日本橋本町4丁目)にありました。その後移転し、西浅草に現存しています。そばは、寺社から都市の庶民に広まった食べ物です。


江戸のそば屋第一号も日本橋

寛文年間(1661~73)頃、日本橋の瀬戸物町(現在の日本橋室町)に開業した「信濃屋」が、江戸のそば屋の第一号とされています。
信濃屋で出したそばは「けんどんそば」というものでした。寺などで茶懐石の締めとして出されていたそばが独立して、けんどんそばとなりました。これは単品で供されるもので、ざるにあけたそばを小分けし、つゆにつけて食べるスタイルです。つゆは「垂れ味噌」。味噌に水を加えて布で漉した汁に、大根の絞り汁、陳皮、シソ、梅干し、海苔など薬味をたくさん入れて食べました。
今のようなそばつゆが完成したのは、ダシとなる鰹節が庶民の手に入りやすくなる江戸中期~後期(17世紀半ば~18世紀後半)のことです。この頃、醤油、酒、味醂なども完成します。ちなみに、日本橋にある鰹節の老舗「にんべん」が瀬戸物町(現・室町)に移転したのも、江戸中期の享保五年(1720)のことです。


かけそばも日本橋から

元禄年間(1688~1704)頃に、日本橋の新材木町(現在の日本橋堀留町)の「信濃屋」が、ぶっかけそばを売り出しました。100年後の寛政年間(1789-1801)から、「かけそば」と呼ばれるようになりました。

種物の代表「鴨南蛮」を売り出したのも、日本橋のお店が最初で、18世紀末に日本橋の馬喰町にあった「笹屋」が始めました。